地域概要

 1824年に入植が始まり、移民がドイツ、アイルランド、カナダなどから来た。ダウンタウン西側には、ドイツ人地区の名残りがあり、赤レンガのビール工場は現在小学校になっている。1837年にはミシガン大学がデトロイトから移転し大学町として発展する。現在人口は11万6千人(Washtenaw 郡全体では32万人)。ミシガン大学には3万人の教職員が勤め、地域で最大の雇用主である。近年周辺にはハイテク産業の発達が著しく、新たな地域経済の原動力としての期待が大きい。民族構成は多様で、国勢調査によると、英語が母国語でない住民の割合は21%、帰化市民を含む外国生まれの住民の割合は18%、アジア系住民の割合は15%と成っている。(文献:US Census Bureau 2005-2007 American Community Survey 3-Year Estimate)

ミシガン大学と日本との関わり

ミシガン大学は、明治時代初頭から現在に至るまで米日関係発展に重要な役割を担ってきた。又地域に於いては、日本文化研究、日本語教育、日本人対象の医療サービスを積極的に実施している。

明治時代

明治2年に日本からの留学生が来る。

アメリカで日本人に対する最初の博士号が、外山正一(後の東京帝大学長・文部大臣)に与えられる。

ミシガン大で経済学博士号を受けた最初の10人の内4人が日本人であった。

小野英二郎(後の日本興業銀行総裁)が日本経済について英語で講義した。

第2次大戦前後

大学に於ける日本研究が20世紀初頭から本格的に始まる。

1935年日本語講座設立。

1936年東洋文明プログラム(現アジア言語・文化学部)設立。

1942年陸軍が日本語訓練所設置。1500名の兵士が卒業。同時期に、西海岸から強制立ち退きをさせられた日系アメリカ人が Ann Arbor で終戦まで滞在。地域の教会が日系人牧師を支援。 

戦後

1947年日本研究センター設立。主な訪問者は、鈴木文四郎(朝日新聞編集長)、現天皇陛下、三島由紀夫、エドウィン・ライシャワー駐日大使。

オイルショックと自動車業界

オイルショック後の日本車の台頭を受けて、日本研究センターは米日自動車業界に関する研究報告書をまとめる。トヨタ、ビッグ3、UAW (全米自動車労働組合)が研究に参画。

現在

1947年以来、500の修士号と200の博士号が日本研究センターで授与された。現在1000人以上の大学生・院生が100以上の日本関連コースを受講している。又地域の小中高生を対象とした日本語及び日本文化教育の支援も積極的に行っている。